船場アーカイブ


1.船場・10年前

バブル崩壊後の不良債権により全国的に都市再生が政策課題であった時代である。特に船場は「シャッター通り」「倒産通り」「駐車場通り」などと大阪の衰退の象徴のように言われていた。


船場げんき提案

都市基盤整備公団は、船場の用地を買収しSOHO 型の都心住宅の供給を始めるとともに、2001 年に「船場げんき提案」というコンペを実施した。これは船場活性化のアイデアを求めるとともに、公開審査・交流会により地域のマッチングを目論むコンペであった。ここには149 の提案があった。


活動グループの交流から「せんばGENKI の会」

コンペや交流会を通して船場に多くの市民活動グループがあることがわかり、その後活動グループの交流展示イベント「SEMBA 博2002」が行われた。さらに、ここに集まった活動グループにより「せんばGENKI まつり」が実施された。これらを契機に「船場をげんきに」という目標のもとに、活動グループのネットワーク組織である「せんばGENKI の会」が2004 年9 月に生まれた。


市民まちづくりの動き

一方、全国的に市民まちづくり活動が活発になってきた時期でもあり、横浜で、2003 年に「まちづくり市民組織フォーラム」、2004 年に「横浜フォーラム地域再生の実践」が開催された。このような動きに触発され、2005 年に「船場フォーラム2005」を開催した。



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2.暮らしのこの10年

船場の人口は、1925 年(大正14 年)には63,711 人あった。
その後人口は減り続け、1995 年には3,772 人まで減少した。

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マンションは増加・人口は回復

2000 年にはマンション等の増加もあり、3,868 人に微増、その後、2010年には約1万人に増加した。人口は、中央大通り以南から始まったマンション建設により中・南船場から人口増が始まったが、2005 年以降は、中央大通り以北の超高層マンションの建設により、北船場の人口増が著しい。さらに、近年は,スーパーマーケットをはじめとした生活利便施設も増えて、休日には家族連れの姿もみられるようになった。


昼間の人口は依然多い

オフィスへの更新も数多く見られるが、昼間人口は大阪市、中央区、船場共に減少傾向にある。しかし、船場には依然20 万人を超える人口が集まり、中央区の半分のワーカーが船場に集まっている。ワーカーは、船場のげんきの重要な担い手である。マンションもIT 系、デザイン系をはじめとするSOHO 利用がなされ、多くの起業家がみられることは、フォーラムでも報告されており、船場に、住み働く人々の新たな暮らしの復活の兆しがみえてきている。



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3.地域活動の10年

ビジネス系(商店街・異業交流など)歴史・文化系(イベント系)まちづくり系(通りや筋などの環境改善などのまちづくり系)に分類して、船場げんきの会に参加、あるいは交流のある活動グループの発足時からの活動を記したもので下図である。


船場の活動グループ

船場では、連合振興町会・卸売商店街などの地域に根ざした団体の活動が古くから続いているが、2000 年からは、ほぼ毎年、新たな活動グループ・団体が生まれている。通りや筋、水辺など地区の資源を活かし環境整備を進めるまちづくり活動、音楽・芸能・講座などイベントを起こしている歴史文化活動、異業種交流や起業家支援などのビジネス活動など様々な活動が生まれている。


まちを楽しむ市民活動

さらに、2000 年以降の活動グループの特徴として、まちのワーカー、ビジターなど都市を利用する人々がまちを楽しむことを目的とした活動が多くなっていることも特徴といえる。



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4.拡がった交流と連携活動(フォーラム・まつりに集う活動グループ)

活動グループの交流やフォーラムなどから新たな連携活動が数多く生み出されてきた。

地域交流の拡がり

船場フォーラムを通して、全国各地の歴史的都心と言われる地域との交流を深めてきた。また、淀屋研究会では淀屋の歴史を通して、鳥取県の倉吉市と交流も深まっている。


大学の連携

なかでも2005 年の大学連携活動は、まちの連携活動に大きな役割を果たしてきた。2006 年には船場アートカフェが誕生、音楽イベント、マンスリーカフェなど独自の活動と共に、北船場を中心に町会と連携し「船場建築祭」、「まちのコモンズ」などを展開してきた。また、「船場フォーラム2007」から生まれた冊子「船場都心」を契機に、学生は船場3地区の活性化案を地元に提案した。


活動グループの連携

中船場では、「船場フォーラム2009」のワークショップから「船場まつり」が生まれ、さらに翌年には寺社、町会との連携による「船場まつり推進協議会」が生まれ現在に至っている。近代建築資産が残る北船場では、2008 年に生まれた「船場地区HOPE ゾーン協議会」と「まちのコモンズ」が連携し「船場博覧会」となり現在に至っている。


*そのほか「船場フォーラム」からは、「船場減災展」、「船場ガイドブック」などが生まれている。
(57 頁以降の「船場げんきの会と船場フォーラムの10 年」も参照)



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5.建物を楽しむ(市民が拓いてきた建物の魅力)

船場は、戦前からの近代建築物、船場建築線によりまちなみの揃う戦後建築物、1970 年の万博以降の新基準による公開空地を持つ建物、規制緩和などにより生まれた御堂筋沿道建物など、各時代を代表する建物群が存在する建築博物館といえる地区である。


近代建築のリノベーション

2000 年頃から近代建築の魅力に惹かれて、活用したいと考える人達、特にシェフやパティシエによりレストランなどに改修されてきたが、2005 年に記念すべきイベント「大大阪サロン・オーナーサミット」があった。市民活動のチカラにより、近代建物オーナーの誇りを呼び起こし、その後の共同イベントを通して、「船場近代建築ネットワーク」を生み出した。また、これらを支援する行政側からの動きもあって「船場地区HOPE ゾーン協議会」が生まれ、数々の修復事業が進んだ。


戦後建築のリノベーション

中華料理店がSOHO オフィスに替わった瓦町サービスオフィス、重厚な事務所ビルの1 階の店舗改修が進む「淀屋橋WEST」など、時代の要請にこたえる形で戦後建築のリノベーションも進んでいる。戦後建築の魅力を発見する市民活動の動きも2010 年頃から始まり、さらに2013 年「生きた建築ミュージアム」につながっている。


新しい建物も・・

バブル崩壊後の不良債権用地といわれた土地も、超高層マンションなど公開空地とともに新たな景観をつくりだしている。



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6.通りと筋・まちを楽しむ(イベントとまち空間)

中船場周辺の船場まつり、北船場の船場博覧会、御堂筋沿道などでは、公開空地などの屋外空地、建物のロビー、ホールなどを活用したイベントが展開され、まちに賑わいを呼んでいる。
イベントがまちの空間資源を発見し、空間が活動を生み出し、活動の輪を拡げてきた。


「船場まつり」

2009 年から始まった「船場まつり」は、船場センタービルを中心に心斎橋筋、南久宝寺通、坐摩神社、南御堂、難波神社、御霊神社などで展開される。


「船場博覧会」

北船場では2006 年に「船場建築祭」から始まり、その後「まちのコモンズ」、「船場博覧会」と拡大し、近代建築、戦後建築、現代建築数多くのビルオーナーの協力のもとに、多彩な文化イベントが展開している。2012 年からは「北船場バル」が開催されている。


「御堂筋ギャラリー」

「御堂筋まちづくりネットワーク」が中心となり沿道企業、学校(相愛学園)の協力で、2003 年からイベントが展開されてきた。屋外空間だけでなくオフィスのロビー空間、ホールがまちのイベント会場となり人々に親しまれている。


「三休橋筋プロムナード」

三休橋筋は町会の境界にある筋であった。整備にあたり町会をつなぐ組織も生まれ地域参加型でガス燈のあるプロムナードとして完成した。さらに、この環境を生かした賑わいのある名所づくりが期待される。(88-91 頁も参照)


*公園が少ない船場だが公開空地の総面積は約4ha あり(2010 年調査)まちの大きな資源である。


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7.歩いて遊ぶ

船場ではこの10 年、まちに暮らす人々の活動が、近代建築はじめ数多くの空間資源の魅力を引き出してきた。その活動の連携は、「船場まつり」や「船場博覧会」などのイベントを通して、多くのまちの楽しみスポットを生み出してきた。また人々の活動の連携は、三休橋筋はじめ新たな空間をもつくりだした。

そして、休日には船場に新しく暮らす家族連の人々とともに、カメラやスケッチブック、ガイドブックを片手に、船場を訪れる人々も増えている。船場に残る建物の魅力と共に、歴史・文化のもつ物語から、まちを歩く人は増え、「大阪あそ歩」には9のまち歩きコースが紹介されている(2012年発行)。

船場は、歩いて楽しむまちである。



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